パネライの買取について
2018.02.20
1860年に同名の技術者が創設し誕生した精密機器メーカーがパネライであり、主に軍に対してクロノグラフの懐中時計を納めていました。
しばらくそうした経営を続けていたパネライに転機が訪れたのが世界大戦が間近に迫っていた1913年頃であり、当時はもちろん現代においても画期的と評される発明をしました。
それはラジオミールというものであり硫化亜鉛、臭化ラジウムなどの化学物質を合成させる事によって非常に明るく発光させる事です。
潜水艦など電力が潤沢では無く限りある環境で活動している方や、暗闇で奇襲作戦を行うために潜んでいるイタリアの軍関係者に大変重宝されました。
その後照準器をはじめコンパスや水深計、水中コンパスや水中フラッシュライト、水中シグナルを生み出し水への強さを前面に出してイタリアの海軍に納めていました。
軍への納品という共通点はあるものの、このようにかつては数多くのプロダクトを開発していたのにも関わらず、腕時計のみに絞った理由はパネライが行っていた事業の中にはひっそりと時計店もあり、フィレンツェにある広場にて経営していた事が関係しています。
時計店においては機械式腕時計において名門と言えるブランドが多数取り扱いされていた上に、工房内には修理場も備わっていたのでパネライが腕時計を作る上で多大なる影響を与えました。
1992年を過ぎた頃からは冷戦が終わりを迎えたため、海軍は同社の製品を求めなくなっただけではなく、高い頻度でメンテナンスをしなければならない上に狂いが生じやすい機械式腕時計よりも、メンテナンスフリーかつ内蔵電池で正確に時を刻み続けるクォーツが人気になります。
長い歴史の中で最も強い逆風に晒された時期であり、経営も傾いてしまい独立して経営していく事が困難になってしまったものの、優れた技術を無くしてしまうわけにはいかないとして組織が支援を申し出て満を持して2つのアイテムを発表します。
それが現代でも憧れの品として追い求めている方が多いルミノールであり、誕生から長い歴史を刻んでいるのに常に一定の人気がある上に、現在はその人気が再び加熱しています。
その理由は寂しくなりがちな手元に大きな腕時計をする事によって、ワンポイントアクセントになるというファッションのブームが影響しており、パネライが水圧に耐えられるようにすべく厚みを厚くして大きくするというのが現代人に受け入れられニーズが高まっています。